水面の音楽

投稿者 :榎本千絵 on

水面の音楽

今朝目が覚めると、清らかな秋の気配、爽やかな空気感がしたので、
美しい湖の景色が見たくなって、湖畔に散歩に行きました。

湖畔では、シジュウカラとコゲラ、ハクセキレイの白・黒・連合が
追いかけっこして、楽しそうに遊んでいました。

普段は縦に移動しないシジュウカラが、縦に移動するコゲラを真似して
縦に木を登って行くのが、かわいらしいです。

湖畔には沢山の虫と実のなる木があり、食べ物には困らないようです。

どうりで最近うちの庭には混群が来ないわけです。

携帯を忘れたのでお見せ出来ないのがとても残念ですが、
今日の湖畔の景色は感動的でした。

空いっぱいに広がるヒツジ雲。雲の隙間から頭だけ覗かせる富士。

雲間より差し込む多分ダイヤモンドよりも高貴に輝く太陽の光。

さざ波が打ち寄せる光に清められた水面。

艶やかな紫の冠を誇る富士アザミ。

金の鎖のススキ。

汚れのない清らかな風景。

そして、今日は、初めて水面と心を通わせられたと感じた日でもありました。

日々の森の散歩では、地球に感謝しながら歩くと、
風が、耳元で挨拶をしてくれるように「ボー」という音がします。

感謝していると、時々、聞こえる音なのです。

そして、今日も地球と神様に感謝しながら湖畔を歩いていると、
打ち寄せるさざ波が、私には、「愛」に見えました。

他になんと表現してよいか分からないので、ひとまず、「愛」としておきます。

何というか、水が、
親愛に満ちた、豊かで、美しく透明感のある音楽のようにリズミカルに、幸せなものを
胸に運んでくれるのです。

それは、夏の京都の龍安寺での体験を思い起こさせました。

敷地に入った途端、水の滴る音楽のようなものが頭に鳴り響き、
石庭の前に佇むと、宇宙の調和、秩序のようなダイナミックで、豊かな波動が感じられ、
蹲踞に刻まれた「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)という言葉は、どちらかというと
愛と力の満ち満ちたこの空間を経験することを表現しているのではと思われたほどです。

宇宙の調和とは、あるいは、愛とは、水の本質なのでしょうか?

ここ、山中湖いっぱいに満ち満ちている愛。

次から次へと、数え切れない「愛」が打ち寄せてくるのです。

水面に、「あなたのことをよく知ってるよ」、と言われたように感じました。

とても嬉しかったです。

山中湖に住んで22年になりますが、初めてのことでした。

心に残る一日となりました。


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