運営者より

石というもの

投稿者 :榎本千絵 on

石は鏡のような存在で、「愛してるよ」といえば、「愛してるよ」と返してくれ、「有り難う」と言えば、「有り難う」と返してくれます。澄んでキラキラ光っていれば、石が健全な状態なので、今石がどういう状態かどうかはなんとなく分かると思います。また、「癒やしておくれ」と言い続ければ、石も思い(=は重い)を吸収して、割れたり、曇ったり、ブレスレットなら、突然紐が切れたりして、身を挺して教えてくれることもあります。そのくらい、石は、純粋な存在です。石とは、清い心でお付き合いしたいものです。石のパワーを求めるのであれば、石に感謝をして、こちらの方から一方的に清い波動を贈ることをお勧めします。あるがままの状態を喜んで鑑賞するにとどめる。水で洗う、やさしい言葉で話しかけてあげる。そうすると、石は清い波動のまま、持ち主を傍らからじっと見つめていて全く期待していなかったのに、ここぞというときに思わぬ力を貸してくれることもあります。「自然」として考えれば、簡単に無くなってしまうものだから、(さらには一旦怒れば怖いものだから)畏敬の念を持って、自然を生かすために、自分に僅か何が出来るのかを考えて付き合い謙虚にその状態が楽しめるかどうかで人間が生き続けられるかどうかがかかってくると思いますが、石との距離感にも似たものがあると思います。石の力の受け取り方にしても、その清らかさに心を打たれ、人生の軌道修正をしようと心に決める。けれども、それ以上は求めない。そうすれば、健全で長いお付き合いが出来るのではないかと思います。万が一、石が汚れてしまったのであれば、お香を焚いて石の精霊に謝ればよいと思います。一度では済まないかもしれません。日本人は、自分が、そうしたいから、そうしないと済まなかったから、古来から先祖供養や神祭りなどして、自分の心を毎日感謝の心で清めてきたように同じように、水やお線香やなどを使い、心を込めて清めて頂けたらと良いと思います。清め続けると、そのうちにあるがままの状態に戻りますので、石本来の状態を楽しんで生活のお供にして頂けたらと思います。

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水槽の中

投稿者 :榎本千絵 on

平均寿命が、中二の次男の時代には、120歳になっているかもねという話をしていると次男「お父さん、運動した方が良いよ」主人は、「おれはその頃には、脳みそになって管の付いた水槽の中に浮かんでるから」と言うので、次男「じゃ、僕はのうのうさんみたいに毎日水を替えてあげる。お父さん中二病だね。」主人「時々砂糖を足してとか、頼むから金魚を一緒に入れるなとか言うから。」次男「うん、わかった」親孝行な息子です。それにしても、寒い日も、雨の日も、風の日も命を輝かせて、庭に来て、一生懸命食べて遊ぶ自然の野鳥たちを野りすたちを見習いたいものです。

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石との付き合い方について

投稿者 :榎本明弘 on

石との付き合い方について石にはいろいろな付き合い方があるかと思いますが、当店がお勧めするのは、「石は眺めて楽しむもの、自然から頂いた恵みとして感謝するもの」というスタンスです。伊勢神宮でも神職の方々が日ごと神様に感謝を捧げるように自然の恵みである石に感謝を捧げることは石を清めることになり、また、石に限らず、日本古来からの、全ての存在には魂が宿るという日本人にとってはごく自然な考え方に即したものだと思うからです。願掛けは、しない方が良いです。 欲によって石が汚れますし、良くないものを引き寄せてしまいます。石は、一生懸命努力する人の側で、そっと寄り添い石なりの健気さで、見守ってくれています。朝日に照らされた石がきらきら光って綺麗だなと思ったら、「今日もいてくれてどうも有り難う」と心の中で挨拶して、お返しに、水洗いしてさらにピカピカにしてあげるような感覚で付き合うのは、いかがでしょうか?この石と友達になりたい!共に過ごすことで、心の豊かさを育んでいく友人のような、一期一会の石との出会いがありますように。店長  

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身体と心のこと

投稿者 :榎本千絵 on

このようなご時世なので、毎日の健康に感謝しながら過ごしています。 8年に渡り、バレエのレッスンを自宅で毎日しながら、鏡に映る姿が、恥ずかしいとしか捉えられなかったこの身体を軸が弱いとか、一番にきっちり立てていないとか、そういうこと以前に、毎日先祖供養をしているせいか、以前と身体に対する捉え方が全く変化し、たくさんの先祖のDNAが合わさって、光り輝いているように思えて、大切で、愛おしくて皆で一緒に生きている証のように思えています。 先祖が頑張って命を繋いできてくれたお陰、動植物たちの犠牲の上に養われてきたお陰、大地がたくさんの苦しみをこらえ、やっとのことで鎮まってくれているお陰、そう思うと、毎日している土地の供養にしても、「ようこそ、よくおいで下さいました。あなたの苦しみに気がつかずにいて申し訳ありませんでした。どうぞ(線香の煙を)召し上がって下さい。この土地に住まわせて頂いて有り難うございます。」 仲間のように、目に見えなくても、人にも、動物にも、精霊にも、心から迎え入れる気持ちでいます。 大きな木の枝の先にある葉っぱになったようで、縁のある全ての存在と繋がっている感覚がものすごく豊かで、幸せな気持ちを運んでくれています。 みんなの身体を代表で生きているのだから、生きていること自体が有り難いし、幸せが詰まっているように思えます。 時々立ち止まって、ジーンとその幸福感を味わいます。 先祖供養をする前は、もうちょっと違っていたように思います。 いつか沖縄旅行で体験した、昔の家屋にあった先祖供養の棚、あの棚にはもう何も供えられていませんでしたが、それでも目に見えないけれど、長く続くDNAの紐のようなものにいたく感動して、これこそが日本の原点と感じました。 この原点に戻らなければと思って、ようやく始められた先祖供養が私の心と身体を健康にしてくれていると感じています。

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リス、野鳥、精霊たちのこと

投稿者 :榎本千絵 on

今日はとても嬉しいことがありました。 2階のキッチンの窓辺に、リスが野鳥用に置いてあった麻の実を食べに来たのです。 私の顔を見ると、驚いて、餌の置き台のない方の窓枠に飛び移ったので、落ちないかとヒヤヒヤしましたが、思い直して、また元の場所に戻って食べ始めてくれました。 驚かさないように、ものすごくゆっくりとリスに近づいて行きました。 仕舞いには、15センチほどしか離れていない距離でじっくりとリスを眺めることができました。 リスも麻の実が美味しいので、我慢してくれたのでしょう。 私があまりに嬉しそうに眺めているのをシジュウカラが集まってきて、観察しに来ました。 そして、そんなに至近距離でよく耐えられるなと皆で驚いている様子でした。 リスが麻の実をたくさん食べて、去った後、今度は、シジュウカラとヤマガラが、どれだけ私に近づけるか面白半分に飛んで来てはやっぱりちょっと怖くて、いつもより大げさに慌てて種をくわえ飛んでいきます。 私がいないところにも餌は置いてあるのに、きっと暇なのでしょう、わざわざ怖いもの見たさにか私をからかいたいのか、多分両方だと思いますが、私の目の前の餌を取りに来るのです。 まるで小学生のピンポンダッシュの様でした。 シジュウカラとヤマガラは、本当に遊びの天才です。 主人が外壁の高いところにあるライトの電球を取り替えるため、はしごに登って両手を挙げているところに、脚の隙間をビュンビュン飛び交ってあわよくば、ひっくり返れば面白いとでも思っているようです。 家から出て車に乗っても、歩いていっても、後を集団で縄張りの限界の枝まで追いかけてくれるし、逆に家に戻ると、一斉に鳴いて皆で「餌が帰ってきたよ」と合図し合います。 それでも、私の気持ちが少し沈んでいる時などは、15羽ほど、順番に一羽、2羽ずつ飛んで来て、白と黒のおなか、あるいは、オレンジと黒のおなかを背伸びしてしっかりと見せて、、目をクリンとして、私に何か励ますような、そぶりを見せてくれます。 主人が私が鳥を呼ぶのを恥ずかしいといって決してまねしないのを知ってか、人がいないのを確認して、主人が初めて低い声で「ピチュちゃん」と呼ぶと、ちゃんと、「分かってるよ」と言わんばかりに目の前に来て、大きな声で「ピチュー!」と返事してくれたのには驚きました。 普段夜に練習するバレエの回転も、昼間やると珍しいのか、興奮したように鳴き始め、集まってきます。 小鳥たちは、付き合ってみると、本当に面白いのです。 地味であまり私たちに近づいてこないカワラヒワについてあまり関心がなく、シジュウカラとヤマガラばかりをかわいがる私に、主人が「カワラヒワが向こうで切なそうな顔をしている」と言うので、私は悪いことをしたと思い、心の中で「ヒワちゃん、こっちへおいで、餌を食べにおいで」と言うと、直ぐに飛んで来て、今まで決して近寄らなかったのに、私が目の前にいても平気で食べるようになりました。 心の中で話しかけた途端、やって来たのでカワラヒワには、テレパシーが通じるんだなと思いました。 私が床供養の線香を上げているせいか、家の中に精霊のようなものの存在を時々感じるようになりました。 家に入ると、今度は精霊さんたちが「帰ってきたよ」と言わんばかりにどよめくのを感じたこともありました。 庭に出て歩くと、今までより、地面から押してもらって軽く立つことが出来る感覚があったので、「土地の精霊に感謝の供養を捧げているので、それを受け取ってくれたのかな。これからも供養を続けて、大地を助けていかないといけないな。」 そう思っていると、目の前の富士の溶岩から白い煙のようなものがモクモク出てきて挨拶をしてくれました。 私の心をまるで読んで現れたかのようなタイミングでした。 あれは土地の精霊だったのではないかと思っています。 心の中はバレバレなようだし、たくさんの家族がいるようだし、常に気を配っていないと誰かがきっと寂しい思いをしてしまうので、忙しいけれど、必要とされているようで、嬉しくも有り難い毎日です。

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