山中湖の春はもう少しです
投稿者 :榎本千絵 on
東京はもう桜が開花したそうですが、山中湖の春はもう少しです。
ここ一週間のうちに、水仙やフクジュソウ、クリスマスローズが
一斉に咲いてくれたので、ようやく冬が終わった実感がわきます。
冬の間にいつの間にかいろんなところで木が切れられても、
小鳥たちはもう一生懸命に春の歌を歌ってくれるので、
嬉しくて、有難くて、散歩中会うと、
一羽ずつに、「大好きよ」と話しかけています。
家に帰ってきた私たちの姿を見て、
餌を食べに来ていた庭の野鳥たちが一斉に飛び立つと、
一羽一羽の温かな心臓の鼓動が感じられ、
また、健康な鳥のおいしそうな匂いまでして、
とても幸せな気分になります。
リスは、うちに来るのが日課になっていて、
写真の通り、木の上でリラックスしたり、遊んだりしています。
外で出会って、「りーすくーん、後でご飯食べに来てね。車に気を付けて来てね。」
と言うと、本当に後で来てくれて、
その時、ヒマワリの種がなくなっていると、
2階の私たちがいるところまでカサコソ上って来て、リスエストします。
日本語が分かるリス君なのです。
お話が分かると言えば、先日こういう事がありました。
お向かいの柵の上に、子どもが上着を置きっぱなしにしてあったのを
私たちが外出先から帰って来て見つけて、
車から降りて取りに行くと、
私たちの車を認知しているシジュウカラたちが、
先に4、5羽、その上着の周りに一斉に集まって、
「ここに忘れていったよ」と教えてくれました。
きっと、教えてくれたと思うのです。
それから、いつか、江ノ島水族館にイルカさんのショーを見に行った時のこと、
ショーの後ろにある壁の上に、一羽のセキレイが止まっていました。
見ていると、ショーの間、イルカのジャンプに合わせて、
タイミングもピッタリに、直角に高く飛び上がり、
また、イルカが水に入る時に、直角に壁の向こう側に降りて行きました。
「セキレイ・ショー」でした。
私たちはセキレイちゃんが気になって、ショーの後も残って見ていると、
セキレイちゃんは誰もいない観客席のちょうど真ん中の席に止まって
舞台の方を見て、
(多分、自分がどう見えたかチェックするために)
それから、片づけをしているトレーナー(江ノ島水族館では、トリーターと言います)の
お兄さんにアピールするために、その人の頭の真上を
わざわざ往復して飛んで行きました。
よく鳥は、人に親密さをアピールするとき、人の頭の真上や真横を飛ぶのです。
が、お兄さんは、気づいていない様子でした。
残念。
イルカさんも、存在自体が祈りの波動で、会うと、感動して
涙が出ます。
静かに、けれども一生懸命に、
地球の平和を祈ってくれていると感じるからです。
一生懸命に生きている、命を全うして生きている動物たちが
純粋にかわいらしくて、いとおしく、存在自体が有難く、
動物たちのお陰で生かされていると感じる日々です。