無垢塩祓

投稿者 :榎本千絵 on

先日、伊勢に二人の息子の進学先が決まったお礼参りに行ってきました。

いつもは往復10時間以上かけての日帰りなのですが、
今回は二見浦に前泊し、朝から二見興玉神社にて4人で無垢塩祓をして頂きました。

私が毎日小さな声で唱える大祓の祝詞のようではなく、
女性の神官の方が太鼓を力強く叩きながら奏上される大祓の祝詞が一生懸命で、
人の助けになればという真心がこもっていて、これでもかというくらいに汚れを清めて頂き、涙がでました。

以前、隣の敷地の大きな木が何本も切られるときに、
ヤマガラが私のところに来て慌てて飛び回り、
「助けて」と言いに来たのに、何も出来ず、
心の中で必死に謝り泣きながら木が切られている間中、大声で何度も何度も唱えた大祓の祝詞は
後で考えてみると、そんな風に大祓の祝詞を唱えるものではない、と思っていました。

けれど、無垢塩祓を受けてみると、
真剣に、自分以外の存在のために、真剣に祈る姿勢は、
きっと神様や木や動物にも人にも届く、
外観はどうあれ、もしかしたら間違っていなかったのかもと思いました。

そして、自分が他のものにしたことは、良いことも悪いことも、
形を変えて自分に戻ってくるのだと。

初穂料は当然お支払いするものの、真心込めて唱えて頂いた大祓の祝詞は、
何か掛け値のないもののように感じられました。

真心が、伊勢の原点だと思いました。

その後、外宮で御神楽を奉納し、内宮での御垣内参拝では、山雀の声が遠くで聞こえ、
日の光がさっと差し込んで、「ああ、応援して頂いている」と感じました。

そして、こう言われたように感じました。

「もっと強くいつも神が側にいることを信じなさい。
そして、もっと朗らかに笑い、
身近な人をもっとよく見て、もっと愛しなさい。
そうすれば、どんな汚れも清まる。」

清めは、毎日の心にある。

神様は、いつも見て下さっているし、
応援して下さっている。

見ることは、本来、愛なのだ。

親神様がして下さるように、きっと人にもしなくてはならない。

「頑張ろう」、そう思えた瞬間でした。

「アヴェ・マリアのヴァイオリン」 (角川文庫)香川宜子著を読みましたが、
私の日々の苦しみなど、アウシュビッツの人たちの苦しみに比べたら
取るに足らないものなのに、
些細な事に汚れてしまう、
感謝の足りない自分の心の狭さを思いました。

生きているだけで、有り難いのです。


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